6、粥見井尻遺跡


○あらまし


  井尻遺跡は縄文時代草創期の住居跡で、平成8年(1997)松阪市飯南町粥見の国道368号のバイパス工事に先だち、道路予定地で行われた発掘調査で、竪穴住居跡と土偶が2個発見され、そのうちの1個はほぼ完全な形で出土した。この土偶は専門家の鑑定の結果、日本最古のものとわかった。この遺跡は地名を取って「粥見井尻遺跡」と名付けられた。

○竪穴住居跡

 粥見井尻遺跡では全国的にも珍しい縄文時代の草創期(約
12000〜11000年前)の竪穴住居跡が4棟見つかった。長い
旧石器時代から縄文時代へ移行した時で、旧石器時代の住居
が平地に屋根をかけた簡単なものであったのに対し、縄文時代
の始まりの頃には直径4〜6m程度、深さ1m程度地面を掘っ
て、垂木を立てかけ屋根を葺いた住居跡が出現した。

井尻遺跡の竪穴住居跡
 井尻遺跡の住居跡は、一度に1棟か2棟があり、2、3回立て替えられており、旧石器時代と違って同じ場
所に住み続ける「定住」が始まったことがうかがえる。また、家の大きさから数人から十数人住んでいたと思
われる。このような縄文初期の竪穴住居がたくさん見つかることは、日本列島の中でも大変珍しいことである。




○井尻遺跡の土偶

 井尻遺跡から2つの土偶が発見された。そのうち1つはほぼ完
全な形で、もう1つは頭だけのものが別々の竪穴住居跡から発見
された。2点とも同じ大きさ、形で、砂粒の混じりの少ない粘土が
使われ、明るい黄土色をしている。
 この土偶は全長6.8p、幅4.2p厚さ2.6pの女性の上半身
を形どったもので、目や口などはなく、胸には粘土を貼り付け乳房
を表現している。また、脚はなく、手は胴体の粘土を横につまみ出
し、両手を広げた形を表している。土偶は北海道から九州までに1
万点余りあるが、今まで発見されたものの中では井尻遺跡のもの
が日本最古である。
 土偶は遊動生活をしていた旧石器時代には無く、定住を始めた
縄文時代に流行し、その後本格的な農耕を始めた弥生時代には
消えている・

井尻遺跡で出土した
日本最古土偶

○井尻遺跡の土器、石器
 
 土器の口の大きさは10数p、深さ20p程、丸みのある平らな底の鉢で、柔らかくて薄い素焼きのもの。模
様のないものが中心で、中には隆線紋や爪形紋やと呼ばれる模様のついたもののほか、縄のあとが底に付
いたものや、板のようなものでナデたものもある。これらには、外側にスス、内側にはオコゲが付いているもの
が多く、煮炊きに使ったことがよくわかる。
  このほか粥見井尻遺跡からは石器も出土した。石器は完全な形のもの、作りかけのもの、またうち欠いた
時の石屑もあった。弓矢の関係では矢じり(石鏃・せきぞく)とともに、矢の棒の部分をまっすぐになるように扱
くための矢柄研磨器(やがらけんまき)と呼ばれる石器が4点発見された。 
 矢じりの材料となるサヌカイトとも呼ばれる讃岐石は、奈良県と大阪府の境にある二上山(ふたかみやま)か
ら和歌山街道を通ってこの地まで運ばれたと考えられている。



○現在の井尻遺跡
 土偶は県の有形文化財に指定され、県埋蔵文化財センターに保管されている。また当初土盛で計画され
ていた道路は高架の工法に変更され、高架道路の下の遺跡には縄文人の竪穴住居が復元されている。
 この付近は櫛田川が大きく蛇行しているところで、この櫛田川の近くで花開いた縄文人の生活がしのば
れる。
 毎年10月にはこの場所で遺跡祭りが開催され、家族連れなどが参加して、勾玉づくり、土器づくり、矢じ
りづくり、火おこし体験、弓矢体験などが行われる。
○所在地
  ・三重県松阪市飯南町粥見