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   「松阪市の史跡10選」は松阪市内の史跡・遺跡を集めました。古墳時代から江戸時代末期
    まで時代の範囲は広く、先人たちが築いた松阪市が誇る歴史的遺産です。
       
                                     松阪市議会議員 川口 保


 
 

1.松坂城跡
 
 松坂城は今から420年程前の天正16年(1588)に、安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が、四五百森(よいほのもり)に築城した平山城です。

  当時は三層の天守閣や兵部屋敷があった。また当時の城絵図には敵見・金ノ間・太鼓・月見・遠見櫓が描かれている。天守閣は正保元年(1644年)の大風で倒壊した。城跡内に当時の建物は残存せず、野面積みの石垣のみが当時の面影を偲ばせている。また城を取り囲む堀は幅15〜31m、総延長約2qあったが明治初期に埋められ、神道川等になごりを残す。

 

松坂城跡
  平成元年〜2年にかけての発掘調査では天守閣の基礎や敵見櫓・多聞の基礎、門・塀の
柱穴などが発見された。また金銅装の六葉金具や多数の瓦も出土した。
  平成18年に(財)日本城郭協会主催の日本100名城に選ばれた。また都市公園法施行
150周年記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選定された。現在は松阪公園
として春には350本のソメイヨシノ桜や藤が咲き乱れ、秋には銀杏が美しく市民の憩いの場
所となっている。公園内には本居宣長記念館や鈴屋(すずのや)と呼ばれる本居宣長旧宅、
松阪市歴史民俗資料館があり、また公園からは松阪市内が一望でき、真下には御城番屋敷
の古い街並みが見渡せる。

○所在地
   ・三重県松阪市殿町1536ほか

○交 通
   ・松阪駅から徒歩で約15分 
   ・松阪駅から松阪中央病院行バスで市民病院前下車、徒歩2分
   ・伊勢自動車道松阪IC下車、車で10分
   ・鈴の音バスで市役所前下車 徒歩2分

○駐車場
   ・駐車場は市民病院前の松阪市駐車場を利用、バス駐車可、駐車場から徒歩2分

○ナ ビ
   ・松坂城跡    「施設、その他、名所・旧跡、三重県、松阪城跡」
   ・松阪市駐車場  「三重県松阪市殿町1560(市民病院)」
        (ナビゲーターにより表示方法が異なることがあります)

○松坂城跡に関する問い合わせ
    ・松阪市商工観光課       0598−53−4406
                        http://www.city.matsusaka.mie.jp/
    ・松阪市観光情報センター   0598−23−7771

○松坂城跡からの近くの見学地
   ・御城番屋敷               搦手門(裏門)より徒歩1分
   ・本居宣長記念館            松坂城跡内
   ・鈴屋(すずのや)(本居宣長旧宅)  松坂城跡内
   ・松阪市立歴史民俗資料館      松坂城跡内


 


2.御城番屋敷
 
  御城番屋敷はその名の通り、江戸時代末に松坂城の警護にあたった40石取りの紀州藩士20人とその家族が、文久3年(1863年)に松阪に来住した際に建てられたもので、主屋2棟と前庭、畑地、土蔵、また紀州藩祖徳川頼宣を祀る南龍神社からなり約1ヘクタールの屋敷地は周囲に垣をめぐらしている。

  松坂城跡の南東側のすぐ下の町並み、たたずまい、石だたみの道路、連なる槙垣は江戸時代の静かな雰囲気を残す。
 

御城番屋敷(松阪城跡より望む)
  この御城番屋敷のような組長屋は全国的にも珍しく、山口県萩市などに例があるのみで、
現存するものとしては最大規模であり、建設年代や由緒が明確で、現在も子孫が生活してい
るなど大変貴重なものとなっている。
  屋敷は今も、藩士の子孫の人たちが資産の散逸を防ぐために合資会社「苗秀社」を設立
し、「子孫に残せ」の遺言を守りながら屋敷を維持管理している。松阪城跡の石垣の上からも
御城番屋敷の全貌が見渡せる。また屋敷を見学に訪れる人たちのために、松阪市では西棟
北側の1戸を借り受け、当初の姿に復元整備し、平成2年4月より一般公開している。公開住
宅の開館時間午前10時〜午後4時、休館日月曜日・年末年始、入場料無料

○所在地
   ・三重県松阪市殿町1385ほか

○交 通
   ・松阪駅から徒歩で約15分
   ・松阪駅から松阪中央病院行バスで市民病院前下車、徒歩約3分
   ・伊勢自動車道松阪インターから車で約10分
   ・鈴の音バスで市役所前下車 徒歩3分

○駐車場
   ・駐車場は市民病院前の松阪市駐車場を利用、バス駐車可、駐車場から徒歩5分

○ナ ビ
   ・御城番屋敷  「三重県松阪市殿町1384」
   ・松阪市駐車場  「三重県松阪市殿町1560(市民病院)」

○御城番屋敷の関する問い合わせ
   ・松阪市商工観光課       0598−53−4406
                        http://www.city.matsusaka.mie.jp/ 
   ・松阪市観光情報センター   0598−23−7771

○御城番屋敷からの近くの見学地
   ・松坂城跡                  徒歩1分
   ・本居宣長記念館              徒歩2分
   ・鈴屋(すずのや)(本居宣長旧宅)    徒歩2分
   ・松阪市立歴史民俗資料館        徒歩5分


 


3.宝塚古墳
 
  宝塚古墳群は松阪市のほぼ中央に位置し南北1q、東西1.25kmの丘陵地一帯に築造された古墳群である。昭和3年の鈴木敏雄氏の踏査によれば88基の古墳が存在していたが、周辺地域は住宅地に造成され、現在はわずかに1、2、4号墳の3基が残存するのみである。

  このうち1号墳は今から約1600年前の五世紀初頭に造られた伊勢地方最大の前方後円墳で、平成11年から始まった史跡整備事業による発掘調査で全長111m後円部径は75m、高さは11mであることが判明した。

宝塚1号墳

  平成12年にはこの古墳から国内最大級の船形埴輪をはじめ、様々な埴輪類約140点
がほぼ埋設された状態のまま出土した。船形埴輪は平成18年6月に他の出土品とともに
国の重要文化財に指定され、現在ほかの埴輪とともに松阪市文化財センター「はにわ館」
に保存展示されている。
  1号墳、2号墳とも発掘調査は終わっているが、古墳の中央部は発掘されなかったため、
副葬品など古代のロマンが昔のまま地表約1mの下に眠っている。平成17年4月に古墳
公園として開園され、近くに駐車場も完備されている。

○所在地
   ・三重県松阪市宝塚町・光町

○交 通
   ・松阪駅から松阪市市街地循環バス(鈴の音バス)で宝塚町
    または山室山小学校口下車、徒歩5分
   ・松阪駅から三交バスの田村で下車、徒歩10分
   ・伊勢自動車道松阪IC下車、車で20分

○駐車場
   ・近くに専用駐車場有り (駐車場から徒歩1分)

○ナ ビ
   ・宝塚古墳 「施設、その他、名所・旧跡、三重県、宝塚古墳」
         (ナビゲーターにより表示方法が異なることがあります)

○宝塚古墳の関する問い合わせ
   ・松阪市教育委員会文化課文化財係  0598−53−4393

○宝塚古墳の関連施設
   ・松阪市文化財センターはにわ館(宝塚古墳から出土した埴輪が展示されている)
    宝塚古墳から松阪市文化財センターへの移動は鈴の音バスを利用。車では10分


 


4.大河内城跡
 
  大河内城は応永年間に伊勢国司北畠満雅により築城され、満雅の弟顕雅(あきまさ)が入城した。その子孫は代々「大河内御所」と呼ばれた。 大河内城は阪内川と矢津川に挟まれた丘陵地の先端部にあり、南側と北側は深い谷が巡っており、自然の要塞を呈している。城の縄張りは本丸を中心とし、北を大手口、南を搦手口とし、西に西ノ丸東に二ノ丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切りや台状地が残る。
 この大河内城に永禄12年(1569)8月織田信長軍が攻め込み、北畠具教(とものり)軍との激しい戦闘が繰り広げられた。 広坂口の戦い、 まむし谷の戦いなど北畠軍は50日に及ぶ織田軍の猛攻に耐え、信長も城攻めをあきらめざるを得なかった。この一大攻防の結果、本城は難攻不落の堅城と絶賛された。


大河内城跡本丸跡
   やがて織田側と和睦が成立し、信長の次男信雄(のぶかつ)が養子に入り、具教の四女
千代御前(雪姫)と結婚した。しかし信雄とともに城の中に入り込んだ織田側の家来により、北
畠氏は城の内部から崩されていくことになり、天正3年(1575)には信雄により城は解体さ
れ、これにより150年続いた大河内城は終焉を迎えたのである。また天正4年(1576)11
月、北畠具教をはじめ北畠一族が全て殺害され、名門北畠は滅亡した。

○所在地
   ・松阪市大河内町城山・マムシ谷他

○交 通
   ・伊勢自動車道松阪ICより車で10分 
      松阪市大河内地区市民センター駐車場より徒歩10分
   ・三重交通バス飯南波瀬線「広坂」停留場下車、徒歩15

○駐車場
   ・松阪市大河内地区市民センター駐車場 バスの駐車可

○ナ ビ
   ・大河内城跡駐車場  「三重県松阪市大河内町796
                       (松阪市大河内地区市民センター)」  
                 「TEL 0598−36−0001  
                       (松阪市大河内地区市民センター)」 


 


5.白米城跡(阿坂城跡)
 
  白米城は松阪市大阿坂町の標高310mの山の頂上に築かれた北畠の山城で、もとの名前は阿坂城。この城に伝わる白米伝説から白米城と呼ばれるようになった。

  城は南北300m、東西150mの領域を持ち、南北2つの郭からなる。南郭を白米城、北郭を椎ノ木城とも呼ばれており、台状地を中心として、堀切り、土塁等が配されてる。椎ノ木城跡は幅40m〜70m、長さ150mと大きく、こちらが城の中心だったと思われる。

白米城跡

  阿坂城に応永22年(1415)足利幕府軍が3万の兵を率いて攻撃をかけたが、連日の激し
い攻撃にも城はびくともししなかった。攻めあぐんだ足利軍が水を絶つ兵糧責めに転じると、
山城の弱さで、城の中では飲み水さえ不自由となり、落城は寸前となった。このとき北畠の兵
が黒い馬の背に白米をかけ洗ってみせたのである。遠くから見ていた足利軍には連日の攻撃
による疲れもあり、馬の背から流れる白米は水に見えたのでした。結局足利軍はこの作戦を
あきらめ退陣を余儀なくされ、このことからこの城を白米城と呼ぶようになった。

  阿坂城はその150年後、大河内城を攻撃した織田信長軍の木下藤吉郎により、再び攻撃
をうけることになる。 
  現在はハイキングや遠足のコースとなり、城跡の上の石碑には白米城の歴史が刻まれて
いる。

○所在地
   ・三重県松阪市大阿坂町枡形・椎の木谷・井戸谷

○交 通
   ・大阿坂淨眼寺コース(白米城への登り口は3ヶ所あるが、このコースは比較的緩やかな
    ハイキングコースとなっている)

   ・伊勢自動車道松阪ICより車で淨眼寺駐車場まで5分
   ・三重交通バス小野行「岩倉口」停留場下車、淨眼寺登り口まで徒歩15分
     淨眼寺登り口より白米城まで徒歩50分〜1時間20分程度

○駐車場
   ・淨眼寺駐車場20台駐車可、マイクロバス駐車可

○ナ ビ
   ・白米城跡駐車場  「三重県松阪市大阿坂町1180(淨眼寺)」  

○白米城跡からの近くの見学地
   ・阿射加神社
   ・美濃田大仏


 


6.粥見井尻遺跡
 
  平成8年(1997)9月当時の飯南町粥見字井尻地内の国道368号の道路予定地であった粥見井尻遺跡を発掘・調査したところ遺跡より、縄文時代草創期(約12000〜11000年前)の土偶が2個発見され、そのうちの1個はほぼ完全な形で出土した。
  この土偶は女性の上半身を形どったもので、全長6.8p、幅4.2p厚さ2.6pの小さなものだが今から1万2千年〜1万1千年前のもので日本最古のものとみられている。縄文時代の歴史をひもとく上での大きなヒントになるものと全国的にも注目を集めた。


粥見井尻遺跡復元竪穴住居
  このほか粥見井尻遺跡からは、竪穴住居跡などの遺構とともに矢柄研磨器や隆線文土器片
など縄文時代草創期を裏付ける遺物が発見された。 この付近は櫛田川が大きく蛇行していると
ころで、この櫛田川の近くで花開いた縄文人の生活がしのばれる。土偶は県の有形文化財に指
定され、県埋蔵文化財センターに保管されている。また当初土盛で計画されていた道路は高架の
工法に変更され、高架道路の下の遺跡には縄文人の竪穴住居が復元されている。

○所在地
   ・三重県松阪市飯南町粥見

○交通
   ・国道166号線三重交通バスの「畑井、粥見神社前」バス停下車、徒歩15分
   ・伊勢自動車道松阪IC下車、車で25分

○駐車場
   ・近くに専用駐車場あり

○ナビ
   ・井尻遺跡    「施設、その他、名所・旧跡、三重県、井尻遺跡」
        (ナビゲーターにより表示方法が異なることがあります)

○井尻遺跡の関する問い合わせ
   ・松阪市飯南振興局地域振興課       0598−32−2511

○井尻遺跡からの近くの見学地
   ・リバーサイド茶倉            徒歩20分
   ・松阪市飯南茶業伝承館        徒歩20分
   ・粥見神社                 徒歩15分


 


7.和歌山街道
 
  和歌山街道は三重県松阪市と奈良県五條市を結ぶ全長45里(180q)の道で、奈良側は「伊勢街道」と呼ばれ、現在の国道166号の基となった道路である。
  和歌山街道の歴史は古く、原始時代にも石器の材料の運搬に用いられ、粥見井尻遺跡から発見された讃岐石(サヌカイト)もこの道を通って運ばれたと考えられている。また紀州藩の参勤交代に使われた道であり、伊勢神宮や吉野山、大峰山、高野山、熊野等への交通の要所として栄えた。

宮前地内の旧和歌山街道

  大石、宮前、七日市や波瀬地区は本陣として栄えた町で、このうち宮前地区には旅籠も8
軒あった。そのうちの江戸屋は昭和の時代まで営業がなされ、その建物が今も残っている。
  和歌山街道は所々で旧道という形で166号と離れるが、ほぼ国道と並行している。宮前か
ら赤桶までは国道から大きく離れ、街道は山の中に入って行く。その途中には天照大神と天
児屋根命(あまのこやねのみこと)が出会ったとされる珍峠(めずらしとうげ)や、天照大神が
天児屋根命と出会い巨石を川(櫛田川)に投げ込んで国境を決めたと伝えられている、礫石
(つぶていし)なども見られる。

  紀州から伊勢への近道としての和歌山別街道は、松阪市飯南町粥見地内の粥見追分け
(粥見神社近く)から別れ、多気町(旧勢和村、旧多気町)を通り玉城町で伊勢本街道に合流
する。

○街道の範囲
  ・松阪市日野町から松阪市木梶町 高見峠まで(三重県側)

○街道沿い及び街道近くの見学地
  ・伊勢街道(参宮街道)との分岐点 (松阪市日野町583)
      「右わかやま道、左さんぐう道」の石碑あり 
  ・大河内城跡 (松阪市大河内町城山他)
      畠山氏の本拠地の城。織田信長の攻撃を受けた
  ・大石の不動院 (松阪市大石町4  рO598−34−0180)
      弘法大師空海上人を開祖とするお寺。国の天然記念物のムカデ蘭が自生する
  ・粥見井尻遺跡 (松阪市飯南町粥見)
      日本最古の土偶が発見された縄文時代草創期の竪穴式住居跡
  ・粥見追分と舟戸の渡し (松阪市飯南町粥見地内)
      粥見神社近くにある和歌山別街道との分岐点および櫛田川の渡し
  ・エドヒガン桜 (松阪市飯南町粥見波留)
      樹齢400年の古樹。幹周り4m。3月下旬の彼岸の頃から淡いピンクの花を咲かす
  ・礫石・珍峠 (松阪市飯高町赤桶)
      天照大神と天児屋根命の伝説で知られるスポット
  ・天開山口窄泰運寺
      打つと龍の鳴き声がするといわれる八角梵鐘のある寺
  ・波瀬本陣跡
      紀州藩の参勤交代に使われた波瀬の本陣跡と街並み


 


8.伊勢街道(参宮街道)
 
  伊勢街道は参宮街道とも呼ばれ、四日市の日永の追分から伊勢湾沿いを伊勢神宮までの約18里(70q)の道。四日市かから津、松阪、斎宮を経て伊勢に向かう街道は幕府によって、脇街道として整備された。このうち松阪市内は雲出川の渡しから、稲木町の祓川の渡し付近までの道筋。

 伊勢街道は東海道より分岐してから途中、伊勢別街道、伊賀街道、初瀬街道、和歌山街道などの街道と接続し、東海道に次ぐ交通量の多い街道で、多くの物資や情報が行き交った。
 江戸時代には人々が集中的に参宮に押し寄せる「おかげ参り」が、およそ60年周期で流
行した。多い時には500万人もの人が熱狂的に伊勢をめざした。

市場庄の街並み
 
 松阪市内では当初海よりに通っていた街道を天正16年(1588)蒲生氏郷が四五百森に
松坂城を築いたとき、新しい城下町を通過させ、六軒より道路の進行方向を大きく内陸側に
変更し、市場庄、久米、塚本、船江、日野町と新しい城下町の中を貫通させ、垣鼻、豊原か
ら櫛田川を渡るコースとなった。この街道沿いには、松浦武四郎の生家や市場庄の町並み、
久米の室町時代から続く舟木家、江戸時代の豪商小津清左衛門の住宅を改修した松阪商
人の館、また多くの常夜灯や道標も残っている。

○街道の範囲
  ・松阪市小野江町(雲出川)〜松阪市稲木町(祓川)(松阪市内分)

○街道沿い及び街道近くの見学地
  ・小野古江渡跡 (松阪市小野江町)
     雲出川の渡し跡の石碑と常夜灯がある
  ・松浦武四郎の生家 (松阪市小野江町)
     探検家で北海道の名付け親として知られる松浦武四郎の生家
  ・松浦武四郎記念館 (松阪市小野江町383 рO598−56−6847)
     松浦武四郎関係の資料の収集保管、研究、展示などを行っている記念館
  ・月本追分 (松阪市中林町)
     伊勢街道と奈良街道との分岐点。伊勢街道最大の道標や大きな常夜燈が建っている
  ・市場庄の街並み (松阪市市場庄町)
     当時を偲ぶ古い街並みに、昔の店の屋号が示されている
  ・忘れ井 (松阪市市場庄町)
     斎王の群行に随行した官女・甲斐が、都に望郷の念で詠んだ歌碑がある
  ・松阪商人の館 (松阪市本町2195 рO598−21−4331)
     江戸時代の豪商小津清左衛門家の住宅を見学用に改造したもの
  ・三井家発祥の地
     三井財閥の祖と言われる三井高利が生まれた屋敷の跡地(非公開)
  ・松阪城跡
      安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が築いた松坂城の跡
  ・御城番屋敷
      江戸時代末に松坂城の警護にあたった40石取紀州藩士の屋敷


 


9.松ヶ島城跡
 
  松ヶ島城は松阪市松ヶ島町の三渡川の左岸の海岸線から東へ500mほどの所にある通称「天守山」が本丸天守閣跡と考えられている。
  永禄10年(1567)年ごろ北畠具教は細頸(ほそくび、後の松ヶ島)に細頸城を築城するが、同12年、織田信長の伊勢来攻が迫ったため、自ら城を焼き廃城とする。
 同永禄12年(1569)北畠と織田で和議が成立し、北畠に養子に入った信長の二男信雄は田丸城を居城としていたが、天正8年(1580)田丸城が放火のため焼失したので、同地に城を築き、松ヶ島城と改称した。五層の天守閣をそなえた堂々たる平城であった。

松ヶ島城跡

  信長が本能寺で倒れたあと、天正12年(1584)蒲生氏郷が豊臣秀吉から12万石を拝
して、松ヶ島城に入城した。
 天正16年(1588)氏郷は四五百森に城を築き、松坂城と命名し、入城した。このとき松
ヶ島の城郭が取り払われ、農漁民を除く町民が松坂に強制的に移住させられた。
 現在は畑の中に20m四方の台状地が残るのみで、当時の面影はなく、周辺には丸の内、
城の腰、
殿町、本町などの地名が残る。

○所在地
   ・三重県松阪市松ヶ島町城の腰

○交 通
   ・近鉄山田線松ヶ崎駅〜徒歩15分 
   ・伊勢自動車道松阪IC下車、車で15分

○駐車場
   ・駐車場なし
    小型車であれば近くまで行けるので空き地を借りる

○松ヶ島城跡の関する問い合わせ
    ・松阪市商工観光課       0598−53−4406


 


10.神山城跡
 
  神山城は飯野郡(現 松阪市中万町)の櫛田川左岸にある神山山頂に築かれた山城で、南北朝時代の初めに南朝側の軍事的拠点として築城された。
  神山城は延元2年(1337)潮田幹景が築城したとされ、標高130mの神山の頂上付近に東西150m、南北120mの城域を有し、東西の2つの台状地からなる。
  西側の台状地は40m×45mの楕円状を呈し、東側の台状地は20m×25mの方形を呈しており、両台状地の間に堀切、土塁などが配されている。西側の台状地が主郭部と思われる。

現在は草木が茂る神山城跡

  延元3年(1338)北畠親房の命を受けた潮田幹景が南朝軍を率いて籠城し、翌延元4
年北朝側の高師秋(こうのもろあき)が城を包囲した。興国4年(1343)北朝側から伊勢守
護に任じられた仁木義長らが加わった攻撃によって、田丸城などの城とともに落城した。
その後仁木義長が入城した。

  この神山城への道筋に天台宗の一乗寺があり、この時の戦いの戦禍で焼失したが、後
に北畠氏により再建された。神山城跡は一乗寺の北側に位置し、現在は一乗寺より奥の
道路及び城跡とも草木が生い茂っている。

○所在地
   ・三重県松阪市中万町川の上

○交通
   ・松阪駅から車で25分 
   ・伊勢自動車道松阪IC下車、車で25分

○駐車場
   ・登り口付近に空き地あり

○神山城跡の関する問い合わせ
   ・松阪市商工観光課       0598−53−4406


 

   
   
 松阪市の史跡をさらに詳しく

 松阪市の史跡「さらに詳しく」は「松阪市の史跡10選」で紹介した史跡を、さらに詳しく紹

介するもので、観光案内と歴史資料の中間的なイメージでまとめました。内容については史

実に基づいてまとめたつもりですが、言い伝えや神代の昔の話しは古代の人々からのメッセー

ジとしてお受け取り下さい。

 編集にあたり次の文献を参考・引用させていただきました。まだ編集途中のものもあり、今

後は更に充実していきたいと思います。いい資料や情報があればご教授下さい。また内容に

ついてのご意見、ご指摘をお寄せ下さい。


             E-mail:Kawaguch@ma.mctv.ne.jp

                             松阪市議会議員 川口 保

○引用及び参考文献


・松阪市史(松阪市編集)
・飯高町郷土史(飯高町 編)
・飯南町史(飯南町 編)
・三雲町史(三雲町 編)
・嬉野町史(嬉野町 編)
・松阪城再発掘 (中倉憲昭 編集) 
・夢とロマンの松阪城ものがたり (服部哲雄、長束吉夫、本居宣長記念館 編)
・松阪城と城下町 天守閣建設をめぐって(久松倫生 著)
・松阪の歴史散歩(三重県教職員組合松阪支部 編)
・三重県の城((株)郷土出版社 編)
・松阪御城番物語(浅山千代太郎 著)
・北畠氏の哀史 (服部哲雄 著)
・中世城館と北畠氏の動向(下村登良男 著)
・旅日記にみる松阪かいわい(田畑美穂 著)
・斎王のみち(田畑美穂 著)
・「みち」の歴史あれこれ −伊勢街道と和歌山街道を中心として−(門暉代司 講演録)
・参宮の今昔(神宮教養叢書)
・飯南物語 (松阪市飯南振興局 編)
・ふるさと飯南 (飯南町教育委員会 編)
・松阪・紀勢界隈 五街道ウォーキングマップ(松阪・紀勢生活創造パートナーシップ会議 編)
・街道物語(津地区広域行政事務組合、松阪地区広域行政事務組合 編)
・松阪の指定文化財案内 (松阪市教育委員会 編)
・松阪物語 (松阪市商工観光課 編)
・粋を愉しむ松阪路 (松阪市商工観光課 編)
・松尾郷土史百話 (松阪市松尾公民館 編)
・ふるさと三雲 今と昔(三雲町役場 編)
・三雲の標(三雲町役場 編)
・丹と神の道ガイドブック(丹と神の道ネットワーク活性化推進協議会 編)
・多気町をめぐる街道とその遺跡 (多気町教育委員会 編)
・松阪合戦物語(夕刊三重紙 掲載)








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